1 岩手県藤沢町の場合
藤沢町で「農村マーケット化」を最初に創出したものが「館ヶ森アーク牧場」である。特に「アーク牧場」では、農村の活気を取り戻すために,都市部から農村への人の逆流をねらって,「農村ディズニーランド」をつくった。「館ヶ森アーク牧場」は平成元年に農業法人をつくり,「動物と花と緑と食と土」をテーマに、平成4年から営業している。そして、藤沢町の「農村マーケット化」はこの「館ヶ森アーク牧場」を軸に進められている。そこで私は「アーク牧場」の取り組みを考察することで、藤沢町の「農村マーケット化」に向けた経緯を見ていく。 埼玉県から養豚の立地を可能にする土地を求めて藤沢町にきた、法人リーダーH氏の養豚の規模は昭和60年当時母豚数で2000頭、年間出荷数で4万頭になっていた。当時H氏は国内のそれぞれの経営対応や価格などから判断して,規模拡大などでもって国際的に対応できる養豚のコストダウンは、困難が大きいとみていた。そして、生産したものに付加価値をつける経営に転換することが望ましいと考えるようになっていた。特に,養豚の仕事を機会に訪れたイギリスのファーマーズマーケットをみてからは、生産したもの,加工したものに自ら値段をつけ,自ら売ることが不可欠と考えるようになっていった。なぜなら、生産した農作物の価格は、消費者の口に入るまでに4から5倍になっているという実態と,農産物を素材にした業種は、設けている実態を知ったからである。したがってH氏は、生産したものに加工やサービスを加えて、消費者に直接販売する経営が基本方向と考えた。H氏はそれを実現するひとつとして、昭和61年に有限会社「手づくり館ヶ森工房」を設立し,年間1億円を上回る販売額にした。それとともにH氏は、藤沢町からの要請も受け、消費者に直接売る農業にするために、都市部の人たちが農場に来る農業対応・農村作りをすることにした.そのために農村のロケーション作りを重視しながら、農場自体を、①作る農場 ②見せる農場 ③味わえる農場 ④楽しむ農場 ⑤体験できる農場 ⑥滞在できる農場など、多面的機能を持ったものにした.それとともに、時代はコストダウン⇒高品質化⇒差別化⇒時を売る、という方向に動いており、それに対応した農場作りが重要と見た。 この考えの基本は,農村部から都市部に流出していた人の流れを、都市部から農村部への流れに変えるところにある。今日農村・農業が落ち込んでいる大きな理由の一つが,農村・農業から人材が流出したところにあるので,人材の確保面からも、農村・農業を魅力の持てるないようにする必要があると捉えたからである。 これと合わせて,「アーク牧場」の経営理念は,差別化商品や,ブランド商品の創出、あるいは魅力あるロケーション作りを持ってのみ,消費者や俊住民の興味をひこうとしていない,人間の健康の原点は食物=「食」にあるので、食するものは安全性が高く,栄養に富,美味しいものでなければならない。なにをおいてもそれを追及するのが農村人の使命とH氏は考えた。このため、「アーク牧場」では、健康に通じるのうさくもつを提供するためにするために有機栽培による作物生産を行うことにした。 「アーク牧場」の経営理念は,農作物の生産だけでなく、加工・サービスによる価値の付加、ロケーションづくり,、健康産品づくり、文化の組み込み、などの活動を総合的に行い自ら値段をつけて、消費者に直接的に産品やサービスを提供するところにある.しかも、消費者や都市住民らに対するそれらの供給の基本は、農場・農村の場が、彼らに時の使い方を提供することも含んでいる.リーダーH氏は、そうした農場づくりの推進が今後の農業・農村を発展させる基盤と条件になるととらえているからである。 これらの理念の基に「館ヶ森アーク牧場」にはさまざまな施設が作られている.ファームマーケット・ハーブ館(レストランを含む)・ハーブハウス・たまご館・アイスクリームハウス・こども広場小動物ふれあい広場・芝生広場・ガチョウエリア・ポニーミニホースひつじエリア・わんぱく広場・たまごひろいランド・バーべキュウハウス・鹿牧場・花畑・小麦畑・そば畑と多様な構成になっている。このほかにもハム工房,ペンション、豚舎計画中のの小果樹園などもある。しかも、牧場ないのエリアに入っている動物・作物はバラエティに富み、動物(家畜)では鹿,ミニホース,ガチョウ,ポニー,ひつじ、うさぎ、にわとり、ウコッケイが、やさいではブロッコリー,キャベツ,ほうれん草,大根,レタス,チンゲンサイ,ラディッシュ,なす,トマトなど30余種が、ハーブではラベンダー,チャイム,ヘンネル,ミントなど100余種がある。農村楽園のデザインとかかわって「アーク牧場では」次の活動が行われている.一つは,健康産業の創出と関連づけた有機栽培である(季節ごとの無農薬野菜は30品目くらいになる)。二つ目は、「アーク牧場」でとれたハーブ、豚,小麦、花などを活用したオリジナル産品の開発である.それは南部小麦によるうどん類、手作りパン,マーブルケーキをはじめ,昔卵、卵油、ハーブ,オリジナルハーブティ(5種類以上)、フレッシュハーブ(15種類以上)、ドライハーブ,ドライフラワー、ドレッシング製品(12種類以上)、さらに15種類以上のハム類および製肉類などがあり(それは合わせると80種類)、価値の付加のみならず、オリジナル性が訪れる人たちの目と心を楽しませている。三つ目は、「館ヶ森アーク牧場」を訪れる人は口コミを中心に年間13~14万人(1998年現在)になっているが、集客のためにメディアやマスコミをうまく活用している。四つ目は集客力を高めるために、①ハーブ館活用のコンサートや写真コンクール、②各種の祭り(ラベンダー,秋の食祭、感謝祭など)、③各種の教室(ソーセージ,ハーブ,家庭菜園など)、④講座(四季それぞれの野菜づくり)などをおこなっている。このように「アーク牧場」では、作る,見せる,楽しむ,味わえる,体験できる、滞在できるという各機能を農場の中にデザインしている。
藤沢町では「アーク牧場」だけでなく他にもさまざまな取り組みをしている。一つ目は農場の中にある産地直売方式を考えた「ファームマーケット」である。「ファームマーケット」は次の機能を持たせることを意図して作られた。①農業者が作ったものを直接農場で販売する。②消費者が農場にきて,生産者とふれあいながら農作物を買えるようにする。③消費者は農作業(収穫など)に加わり農業を知ることができるようにする。④消費者は農場で加工体験して本物の味を味わえる。⑤消費者が生産と加工の場を知った上で宅配を推進する。などである。以上のことから明らかなように、ファームマーケットは新鮮な農作物を直接消費者に提供するだけでなく、生産者と消費者との交流・ふれあいを重視している。消費者や都市住民の農業に対する理解は生産の場と加工の場を知ってもらうことにより彼らがなにを求めているかなどのニーズを知ることに結びつく。相互に顔が見え,考え方や心も見えることによって,消費者は農業に対する理解もできてくるし、生産者は生産・加工・サービスのあり方を知ることができる。二つ目は「ポポちゃんのりんご園」と「愛情りんご園」である。これらのりんご農園も「農村マーケット化」を意識したつぎのような経営対応を取りつつある。①付加価値をつけるために多くの加工をやる(現在はジュースを販売している),②生食用の販売は、直売、宅配、もぎ取りで行く(市場販売はしない)、③消費者がりんご園に親しみ、楽しみながら農業の理解が得られるように、春から秋にかけ、1日りんご園ですごせるようにする。④遊んで食べてもらう戦略を考える、⑤消費者が週末の余暇を過ごせるようにする、などである。そこでは消費者との交流・集客を意識した場と対応の作り出しをしてきている。これらは法人リーダーがいう第一次から「第5次」(ここでは第4次は文化、第5次は健康ととらえている)までの各産業を組み込んだ対応であり,それによって人の流れの逆流の実現を確実に図ってきているし、農村中心の時の使い方を都市住民に提供している。事実、平成9年の「アーク牧場」の売上額は約10億円にもなり関連会社を合わせると22億円になっているし、「アーク牧場」を訪れる人・ファンは拡大している。
2 三重県 阿山町の場合
阿山町での「農村マーケット化」のスタートは名産品となる銘柄豚づくりをすることから始まった。なぜならば、昭和50年代の伊賀地域の豚生産は輸入自由化と産地間競争の影響を受けて,困難な状況が続いていた。そうした状況下で伊賀の養豚経営が生き残るには、差別化戦略による銘柄豚の作り出しが重要と考えたからである。そして、生産農かリーダーのF氏の提案で「伊賀の里モクモク手づくりファーム」(以下、多くは「モクモク」と略している)をつくった。まず、「モクモク」は、ハム工房をつくり,ハムづくりの技術者を招いて、昭和63年に開業した。そこでの販売対策は①生産者が働きかけてコミュニケーションのある固定客を作るために消費者組織「モクモククラブ」の結成,②歳暮シーズンに向けたトリプルギフト(同じ人に三回贈り物をする)の販売,③バレンタイン商戦に向けたハツ(心臓)を燻製にしたハムの製造・販売など、創造のこらしと、ユニークなネーミングづけおよびマスコミの活用、などである。これらのことにより販売を軌道に乗せることに成功し,その後も「モクモク」では、「創政冶(ソーセージ)」「肝っ玉母さんフォーレバー」「米こめウインナー」など話題性ある産品を開発し消費者の認知と理解を高め、販売力を高めた。 それとともに、消費者からの要請で、「手作りウインナー教室」を開始し婦人の反響を大きくさせ,そのことにより「モクモク」への信頼感を高め,これにより「モクモククラブ」会員の拡大が図られた。そして、「モクモク」では消費者らに農業を感じて,知って、考えてもらう場づくりをするという考えのもと‘感農ランド構想‘を作った。そして、当時脚光を浴びつつあった農村リゾートとも関連させ平成7年に工房公園(=「ファクトリーパーク」をオープンさせた。これは、自然・農業・豚をテーマに次の内容からなる。施設は,焼き豚専門館,ゲートショップ,豚のテーマ館,バーべキュウビアハウス、手づくり体験館、ウインナー専門館、生ハム専門館、地ビール工房、シンゲンプラザ,ペットミニブタハウス、ファーマーズマーケット、パン・パスタ工房、という構成になっている。そして「モクモク」の事業展開は信頼ある農村まるごと産業化の方向を強く指向していて、その内容は次の10点に及ぶ。①工房公園の運営(直売、レストラン、イベントなど) ②手づくりハム,ソーセージの販売・製造 ③直営農場での有機栽培による野菜の生産・販売 ④地域の転作田でつくった大麦による地ビールの製造・販売 ⑤地域の転作田でつくった小麦によるパン,パスタ,ピザの製造・販売 ⑥地域の山菜・野草と直営農場のもち米を使った菓子の製造・販売 ⑦組合員生産の「伊賀豚」と地域の農家生産の「伊賀牛」の生肉製造・販売 ⑧地域の農家が持ち込む農産物のファーマーズマーケットの運営 ⑨消費者組織「モクモクネイチャークラブ」(モクモククラブから平成7年に改名)員への通販 ⑩モクモク直営店の経営の以上である。これからわかるように「モクモク」では、農村の場を有効に利用し、本物の農畜産物を生産・加工・販売し、心のこもった対応をしている。これらの活動がみのり、当初14人でスタートした従業員数も225人になり年間売上も22億9000万円になっている(図 モクモクの総売上・従業員・会員の推移参照) また、「モクモク」が成長した大きな要因の一つは生産者が消費者を組織した点である。これまで,生産者サイドからの取り組みは,宅配における顧客名簿の整理、農業公園などに来る人の会員化、あるいは出資者となってもらうこと(たとえば山口県の船方農場)などはあった。しかし、ファンとして消費者自身が組織の一員になることはほとんどなかった。しかし、「モクモクネイチャークラブ」員は、宅配もやってもらうが、工房公園を自由に訪れ家族らと一時をすごすことができるし、種々野イベントに参加することもできる。また「モクモク」の事業内容や活動に意見を出すことができる。この人たちは、「モクモク」の場合、運動方針に対する賛同者であり、必要に応じて「モクモク」の産物を受けながら、スタッフと一緒に知り・考え、一員と共に運動を推進する会員でもある。それは、得意様としての顧客の概念より広く,事業賛同者あるいは愛好家的要素もある「ファン」的な会員ととらえることができる。そして、「モクモク」成長の強みは、そのような消費者を組織したことにある。「モクモク」の会員は平成9年時点で2万1000人を数え、まだまだ増加している。会員への宅配事業の割合は、それほど大きくはないが、家族とともに会員が時々工房公園を訪れる意味は大きい。工房公園事業の収入拡大に寄与するからである。また「モクモク」では主にクラブ会員を対象に、手づくりによる年2回の大イベント(五月の「とんとん祭り」と10月の「収穫祭」)と、年35回の小イベントをおこなっている。3日間にわたる大イベントには、1万~1万5000人が集まるし50~200人を募集して行う小イベントにはほぼ募集した人数が集まっている。特に大イベントにおいては、ミニ豚を中心とする子供番組(「ミニ豚ダービー」「豚に真珠」「子豚追い柵入れ」など)が人気を呼び,子供と一緒に親(会員)も参加してくる。これを地元テレビ局が放映することもあって、「モクモク」の名と集客効果を集めている。小イベントにおいては(表 小イベントの実施内容と参加人数 参照)、①農作物を利用した種々の“つくり”(生ハムづくり、コンニャクづくり、とうふづくり、干し柿づくり、ずんだもちずくり、つばきもちづくり、梅ジュースづくりなど)を中心に、②収穫体験(稲刈り,ジャガイモほり,サツマイモほり、栗ひろい、茶もみなど)、③田舎体験(鳥の巣箱づくり、竹馬ダービー,ハーブせっけんづくり、おもしろ田舎体験など)、④ゲーム的な遊び(ペットボトルロケット、マツタケ狩りと宝さがし、自然と遊ぼう、親子人形劇など)と、その内容は多様である。そのほとんどは、農と農村に根ざしたものになっており,ファミリー意識の応募者が増えている。これらのイベントの直接の効果は、①「モクモク」のスタッフと参加者が同じことをすることによる相互の理解と信頼の向上、②一緒にやることの相互の喜び、③ふれあいができることによる集客の向上にある。しかも、こうした効果があることによって、「モクモク」の事業・運動が認知・理解され、さらに信頼が得られて、通販の利用が高まっている。それらがまた運動の輪を広げてクラブ会員と一緒になった「モクモク」自体のあるべき価値体系を作り上げている。
3 山形県 寒河江市の場合
寒河江市の場合、先に挙げた会社からスタートした藤沢町や阿山町とは異なりJAと寒河江市が中心となって行われている。そもそも、寒河江市にはさくらんぼという名産品があった。そこでJAの観光農業課リーダーのK氏は消費者と直接つながった農業が求められるのではないか、人々が農村に美しい自然と本物の農作物を求めてくるのではないかと考え、まず、もぎたて、とれたて、ほんもの、をコンセプトに「さくらんぼのオーナー制」(一本ごとに契約してもらい管理は農家が責任を持って行うがオーナー自らが現地に着て収穫してもらうのが条件)をはじめた。反響は大きく、遠くは北海道や大阪から100件以上の申し込みがあり、現在でも好評はつづいている。しかし、サクランボの収穫時期は一ヶ月弱と短い。そこでK氏は“365日”人を呼べる農業をめざし、冬の間の雪中いちご狩りにはじまり、一般のいちご狩り、ミニトマト摘み、菜の花摘み、ブルーベリー狩り、ぶどう狩り、ジャガイモほり、もも狩り、りんご狩り、以外菊摘み(食用菊)、ラ・フランス狩りなどさまざまな農作物をてがけていった。これにより年間を通して集客をみこめるようになった。現在では観光客数は30万人を上回り,売上は3億円にもなった。また、それとともにふるさと体験シリーズ(表 寒河江市周年観光農業商品案内 参照)と称した春と秋の七草摘み、フルーツ狩りと虫とりハイキング、山菜取り、山づるとり・壁飾り作り教室、紅葉散策と押花(葉)絵教室、雪上落書き大会、体験そばうち、体験もちつき、体験ごぼう堀など農村の生活を都市住民に体験もらう活動も積極的に行っている。またさまざまなイベントを開際し、そのなかでも、「さくらんぼ種吹きとばし大会」は、マスコミにも取り上げられ、「寒河江」の名と、認知、そして集客効果を高めている。しかし、寒河江市においてもっとも目をひくものはバラ風呂である。寒河江市にも寒河江温泉が存在したが近くに天童や上ノ山,蔵王などの有名温泉地があったのと、収容人員も百人に満たなかったために近くの有名温泉地に観光客を取られてしまっていた。バラ風呂は、赤,黄,ピンク,白,オレンジなど色とりどりのおよそ1000個のバラの花を市内の温泉の湯船に浮かべる。このなんともいえない雰囲気は都市住民を刺激するには十分であったし、そのオリジナリティーは口コミによって大きく広まっていった。またバラ風呂の宅配セット「幸せを結ぶセット」は発売と同時に、マスコミにも大きく取り上げられ寒河江の名を大きく広めた。ほかにも、夢りんご(「夢」「愛」「祝」「寿」の文字を入れたり、自分の名前などを入れたもので「オリジナルりんご」「マイりんご」として若い女性を中心に人気がある)や、合格りんご(夢りんごと同じで「合格」という文字を入れ、文殊菩薩の奉られている「慈恩寺」のお坊さんに「知慧蜜入れ」の加持祈祷をしてもらったもの)、などのさまざまなアイデア商品を売り出した。これらは、その独創性と話題性により大きな反響を受けている。また、拠点として道の駅と一体化した「チェリーランド」を平成4年にオープンさせた。この「チェリーランド」にはさまざまな施設がある。さくらんぼ資料館や人気のゴマアイスなどを売るアイス売り場などがある「さくらんぼ会館」、山形県内のほとんどの土産物がそろう物産館とレストランのある「チェリーランドさがえ」、さくらんぼの原産地トルコの織物・民芸品・工芸品・銀器やガラス器・時期などの物産を扱い、喫茶室もある「トルコ館」、純和風の茶室「臨川亭」、
銀色の三角錐のシンボルタワー「チェリードーム」、全世界のさくらんぼの木117種・247本が植えられている「国際チェリーパーク」などがある。この施設は、年間160万人以上の人が訪れ,年間売上は17億円にもおよび、拠点として、集客・消費者との交流など大きな成果をあげている。また、このように目に見えるところだけでなく,“下げて感謝、あげてよろしく”(迎える時は人より三歩前に出て迎え,見送る時は七歩離れるまで全身で見送る)とともに、“心のおしゃれ”(どんな人種,どんな職業の人ともわけへだてなく付き合う)を根底において接客することで、消費者の理解と農村人の向上心を高めているのである。
4 山梨県 勝沼町の場合
勝沼町での観光農業の歴史は深い。その流れに少しふれておく。勝沼町においてのぶどうの歴史も深く、その起源は鎌倉時代にまでさかのぼり、かの松尾芭蕉も“勝沼や 馬子もぶどうを 食べながら”と詠んでいるほどで,現在では全国一のぶどうの産地である。そのなかで、明治27年に「宮光園」が観光ぶどう園(ぶどう狩りをし、ぶどう棚のしたでぶどうを食べたりする)として始まった。当初の客は都市や、近県の金持ちや著名人にとどまっていた。また、そのころに、技術者がフランスに渡り、ワイン醸造の技術を伝えた。太平洋戦争において、ぶどう狩りは中断されるが,昭和23年から再びはじまる。昭和33年の笹子トンネル開通とともに多くの一般農家もこれをはじめていった。現在では人口9000人の町に130ものぶどう園が存在し、年間85万人がぶどう園に訪れている。また、勝沼の拠点である、ぶどうの丘は、勝沼町が昭和46年に自然休養村に指定され、それを受けて昭和50年に自然休養村管理センターとしてスタートした。徐々に施設も増やされ宿泊棟、ワインカーブ(勝沼町のすべてのワインを試飲できる)、バーベキューガーデン、物産館、イベントホール、レストラン、美術館があり、昨年温泉を掘り、「天空の湯」がオープンした。「天空の湯」は一面のぶどう畑(この景観は、国に指定を受けるという動きもある)と、甲府盆地を見渡すことができる絶景で、近隣の温泉地に取られていた消費者を呼び戻すことに大きな成果をあげている。また、平成7年にオープンした「ハーブ庭園夢日記」は、ハーブティーやハーブの苗の販売、ハーブを使ったソフトクリームなどを販売し、多くの成果をあげ,年間40万人以上の人を迎えている。それとともに、「メルシャンワイン」や「サッポロワイナリー」、「マンズマイン」などでは、ワイン醸造の工場見学を行い集客とともに,勝沼ワインに対する消費者の認知を高めている。しかし、勝沼町での特徴はぶどう狩りなどを行なっている農家がすばらしい集客力を持っている点である。ある農家では、旅行会社と契約し、日に何十台・何百台という観光バスを受け入れている。また、他では手に入らないもの物を作ろうと30種類ものぶどうの品種を作っている。そして、前にも上げたが、農家が努力、工夫、そして競い合うすることにより85万人の消費者を全国から集めているのである。しかし、その根底には、ぶどうのことをもっと知ってもらい、やすらいでもらい、美味しいものを食べてもらい、そして、また来たいと思わせるための努力と工夫があるのである。また、観光ぶどう園どうしの協力と情報交換などを目的としたぶどう会の友を結成し、更なる向上を図っている。このほかに、勝沼町では、年に一回行なわれる大イベント、ぶどう祭りがある。これにおいては、ワイン試飲し放題や、ぶどうの早食い大会、などをおこなっている。これらのことは、着実に成果を上げ、勝沼町に訪れる人は年々増加している(図 勝沼町年間観光客数 参照)